社長プロフィール
1972年新潟県生まれ。 1995年法政大学文学部日本文学科中退。製缶工場での見習いの後、1996年父が創業した株式会社トクニ工業入社。主に曲げ加工に携り1日4000ショット、年間100万回機械のペダルを踏み続ける。2000年よりレーザー加工機を担当。2004年代表取締役社長に就任。この年導入したレーザー加工機と増強したCADシステムを契機に、大きく精密板金加工に業務の軸を置くようになりました。3D-CADの特性を生かした複数パーツでの製品の製作に力を入れています。働くスタッフ一人一人が自立した、筋肉質な会社を目指しています。現在主にレーザー切断用のプログラム作成を担い1日20件、年間約5000件のプログラムを作り出しています。
趣味は読書とランニング。「読書は著者との出会いの場」様々な分野で活躍する著者と出会うことで心の深化を図っています。観光地でその観光地を舞台にした小説を読むのは、聖地巡礼適で楽しいものです。また「働くスタッフ一人一人が自立した、筋肉質な会社を目指す」という観点から、まずは筋肉質な社長になろうと一念発起、ランニングを始め、年数回県内の市民マラソン大会に参加しています。
基本姿勢
トクニ工業は金属の板加工を業務の基盤とし、様々な分野の製品を作っています。年間百数十社のクライアントから加工の依頼をいただいています。私たちは製造業ですので、ものづくりの視点から様々な案件に対して、品質・納期・価格の面でより良くなるよう提案するよう心がけています。ものづくりのパートナー企業として、クライアントをサポートすることに重きをおいています。
受注した案件に関しては、誠意を持って取り組み、互いに信頼関係を積み重ねていけるよう努めています。強みは現場で活躍するスタッフ、機械設備、作業空間としての工場、1981年から続く実績、燕三条地域のものづくりネットワークです。
工業クリエイター
オリジナル製品のページではスタッフの肩書に「工業クリエイター」とつけて紹介しています。ただ現場で作業するだけではなく、ひとりひとりがものづくりに取り組む自覚と責任を持って業務にあたっています。自分が担当している工程だけに固執することなく、仕事量の過多や短納期対応できるよう、複数の加工工程を担える多能工化を奨励しています。特に納期との兼ね合いでボトルネックになりがちな熔接工程は、人海戦術で押し切れるよう十分な機械設備と加工スペースを整備しています。
作業空間
金属の板を加工して作られるカバーや筐体は、製作過程で取り回しのためのスペースが必要になります。各加工工程において、加工前・加工中・加工後と加工品の3倍のスペースが必要になります。弊社では4930㎡の敷地に加工のための本工場(1815㎡)と組立梱包のための第2工場(397㎡)、第3工場
(740㎡)を持っています。充分な作業スペースで効率的な生産体制を整えて
います。また本工場の屋根は遮熱工事を行い、夏場の茹だるような暑さと冬場の凍てつくような寒さの軽減に役立っています。
実績
1981年創業者である元会長が、前身である中島製作所から法人成りしました。現在の工場は1993年移転して建てられました。創業当時からは事業内容も取引するクライアントも様変わりしましたが、金属の加工をするという製造業というスタンスは継続されています。現在では精密板金加工を業務の中心として様々な製品を作っています。長年培ってきた金属の板加工の技術をいかして、一社一社のクライアントから納得してもらえる製品を提供しています。
地の利
燕三条地域は、多くの製造業・問屋・商社の集積地として知られています。金属の加工も幅広く取引ある会社だけでも、プレス加工業・金型製造業・機械加工業・ワイヤー加工業・パイプ加工業・ヘラ絞り・製缶など多岐にわたっています。金属の材料業者もスチールを専門に扱う会社、ステンレスを専門に扱う会社、アングル・角パイプなどの鋼管に特化した会社などがあります。表面処理業者も塗装・メッキ・バレル研磨・バフ研磨・シルクスクリーン印刷などそれぞれ専門の会社があります。それらの会社と協力し、互いに製造のハブとなりながらものづくりを行っています。
ロゴマークについて
2010年に私たちトクニ工業のロゴマークは、新しく変わりました。
「徳をもって得を」の経営理念のもと、カタカナの「ト」とひらがなの「く」をデフォルメしたデザインです。
また、組み合わせることでTOKUNIの「K」も表しています。
ロゴマークの意味は、さまざまな技術を駆使してお客さまの要望をカタチにする技術力とお客さまとトクニ工業の結びつき・信頼感を表現しています。
コーポレートカラーのグリーンは信頼・安全を意味しています